[9]ア・ラ・カルト


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■ 沙翁とハリネズミ ■
− ハリネズミは“ひっつき虫”か? −

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西ヨーロッパにあまたある国々の中でも、“妖精”のメッカといえば、英国である。ただし、そう称するためには、一つの前提を認めてもらわなければならない−−ウェールズ、スコットランドはもとより、アイルランド島までをも英国エリアということにしなければならないのだ。よく知られるように、英国圏の妖精イメージは、ケルト伝説に多くを負っている。
その英国では、「妖精の化身として」の項でふれたように、妖精たちはしばしばハリネズミの姿を借りて現れると考えられていた。
シェイクスピアの手になる戯曲にも、妖精の活躍するものがある。つまるところ妖精たちは、かの沙翁が自身の作品への助勢を請いたくなるほどのバイタリティとリアリティをもって、当時の民間伝承の世界を縦横無尽に跳梁跋扈していたのだ……と考えるのはやや早計で(もちろんそういう側面もあったはずだが)、逆に、この偉大な劇作家が若き日に舞台に乗せた幻想喜劇『夏の夜の夢』によってはじめて“愛すべきいたずら者”としての妖精のイメージが広められた、という方が真相に近いようだ。

沙翁
Shakespeare, Willium
1564-1616
 
そのシェイクスピアに対して、ハリエット嬢なるハリネズミは、岩野礼子『動物解体新書』の紙面を借りて、以下のような苦言を呈している。

「英国は動物愛護の国というけれど、ことハリネズミに関しては大いに異議あり、の私です。たとえば、かのシェイクスピアは『夏の夜の夢』で、「放せ、猫め、この牝鼬 メスイタチ !」(福田恆存訳)と書きました。これは、いたずら妖精パックのせいで、最愛の恋人ハーミアがにわかにうとましくなったときの若者ライサンダーの台詞です。
最大級の罵倒の言葉として使われている「牝イタチ」とは、実はイタチではなくハリネズミのことなんです。そういう箇所でハリネズミを使うなんて、シェイクスピアって最低ね。私たちの愛すべき性質を知らない証拠です。そして、福田なんとかという翻訳者、かっこうのいいハリネズミを、よくもあんな不細工なイタチなどと訳してくれたわね。まったく失礼千万です。」

ハリ嬢が本気で腹を立てているのでないことは、言うだけ野暮というものだろう。彼女は沙翁の芳しからざる罵言をそれとなく葬り去ってくれた福田に、感謝するどころか、抗議の言葉を向けている。理屈抜きで目の敵にされ噛みつかれるのは日常茶飯事だった福田のこと、これに応えるにも、ただ沈黙と微苦笑をもってするに違いない。しかし、英国の劇作家が、同様に彼女の抗議をすんなり受け入れてくれるかといえば、どうもそうは考えにくいのだ。
件のライサンダー君の言葉は第3幕第2場でのもので、台詞の全体は
「放せ、猫め、この牝鼬! 畜生、放せといふのに。放さなければ、蛇よろしく、ふりとばしてやる。」
というものである。
元の英文を挙げれば、
"Hang off, thou cat, thou burr! Vile thing, let loose, or I will shake thee from me like a serpent."
となる。
ハリ嬢が「実はイタチではなくハリネズミ」と主張するのは、この "burr" という単語のことだとしか考えられない。細かい話になるが、burr は本来、同音異綴の bur と同一の単語である。bur とは第一に植物の「いが」のことであり、また、burr の方は、いくつかの語義をもつが、やはり「(いがのように)くっつくもの」というのが第一義だ。たとえば、のどのイガイガなども、英語では burr と呼ぶ。
いがと言われて我々が最初に連想するのはクリのいがで、これは「くっついてくるもの」というイメージとは結びつきにくいが、bur の語がイメージさせる植物としては、ほかに burdock がある。この雑草の実のイガは、動物の体や人の衣服について運ばれるのだ。同じ植物を、我々は「ゴボウ」と呼んでいる。

※『原色牧野植物大圖鑑』(北隆館,1982.05.)によれば、ゴボウ(キク科ゴボウ属,Arctium lappa L.)はヨーロッパからヒマラヤ、中国の温帯に分布する越年草で、肥えた土地によく雑草化する。その実は漢名で「悪実」と呼ばれる。
東南アジアの捕虜収容所で食事にゴボウを出した責任者が、戦後、捕虜に木の根を食わせたとして虐待の罪で裁かれたことは、よく知られている。英米ではゴボウを食用にしないのだ。彼らはこの植物の地下の部分には興味をもたなかったので、地上部分の特徴のみに注目して、「イガ草」という、我々には少々馴染みにくい名前でこの植物を呼ぶようになったのだろう。
なお、ヤマゴボウはヤマゴボウ科ヤマゴボウ属であり、また方言に「やまごぼう」と称して根が食用にされるオヤマボクチやモリアザミ、ハマアザミなど、いずれもゴボウと同じキク科ではあるが別種である。

OED をひっくり返してみても、bur/burr の語に「ハリネズミ」としての語義・用例は見当たらない。逆に、hedgehog の項を丹念に調べると、何番目かの項目に「植物のとげとげした果皮ないしイガ、またその植物」とある。このことから察するに、ハリ嬢の抗議は、おそらく、英語で“いが”のことを "hedgehog" と呼ぶことがあるのを、彼女が正反対に誤解したことに発したものだろう。英語国産ハリネズミのハリエット嬢にしては、ずいぶんと迂闊な勘違いではある。
福田訳では、妖精の術にまんまとはまって、一刹那前までは最愛の女性だった相手を罵倒するライサンダー君の言葉を、訳者が観客と一緒になって面白がっている節があり、上の台詞の中でも、ハーミア嬢に対する彼の動物扱いが、原文よりもそれとなく強調されているようにさえ見える。遊び心を排してベタな訳を考えれば、「放せ、この猫、ひっつき虫!」というあたりが妥当なのではないだろうか。

※ 私の小さいころ、「ひっつきむし」の名で呼ばれていたのは、ヌスビトハギの実だった。同様に、オナモミの実も、「ひっつきむし」「くっつきむし」の名で呼ばれるらしい(こちらは、私の育った町ではほとんど見かけなかった)。
オナモミの実はラグビーボール型で、たくさんのかぎ針をもち、衣服に付着する。オナモミの方言名の一つに「やまごんぼ」があるが、この草の根が食用になるとは聞かないから、実が服につくことからゴボウになぞらえられたのなのではないだろうか。
現在は、メキシコ原産のオオオナモミや、熱帯アメリカ原産?のイガオナモミも、我が国に帰化している。逆にユーラシア原産のオナモミは北米にも帰化しており、また少なくともイガオナモミはヨーロッパにも帰化しているようである。オナモミ系の植物の実は、その形状から、英語圏ではほぼ間違いなく urchin の名で呼ばれているはずである。

さて、それでは、『夏の夜の夢』にハリネズミは登場しないのか、と言えば、そんなことはない。
これもハリエット嬢の耳に入ったらただでは済まないだろうが、第2幕第2場、妖精の女王タイターニアが配下の妖精たちに歌わせる子守歌の中で、忌むべき爬虫類や両生類の仲間として、ハリネズミの名が挙げられているのだ。

舌のわかれた まだらの蛇に
棘をはやした 針鼠 それ
消えて無くなれ 姿を隱せ
ゐもり とかげも わるさをやめろ
女王樣が おやすみなさる(後略)
(福田恆存訳)

You spotted snakes with double tongue,
Thorny hedgehogs, be not seen;
Newts and blind-worms, do no wrong,
Come not near our fairy queen.

同じ歌の第2節では、クモ、アシナガグモ、虫(worm)、カタツムリが同様の警告を受けているが、1番と2番でハリネズミの餌となる動物がほぼ網羅されているのは面白い偶然である。
この歌の中では、グロテスクな闇の生き物たちが、妖精たちから遠ざけられている。そうすることによって作者は、不可解な現象の説明原理として生み出された、理不尽で不気味な「闇の住人」=“妖精/妖怪”のフォークロアから、軽やかに優雅に楽しく遊び暮らす自分の無邪気な作中人物たちを、巧みに切り離してみせたのだろう。

シェイクスピアの戯曲中、もう一つ、妖精の登場するものとして知られるのは、『あらし』(あるいは『テンペスト』)である。
この作品では、舞台となる島の支配者、妖術使いプロスペローが、物語の筋運びまでをも支配する万能ぶりをみせるが、彼は空気の精であるエアリエル(とその仲間の妖精たち)のほかに、キャリバンという土人風の怪物を使役している(『あらし』のディテールには新大陸の探検家による記録の影響が散見されるが、Caliban の名は、カリブ海沿岸に住む Cariban 族のrをlに変えただけのものであるのは偶然だろうか)。このキャリバン、観客としてはむしろその立場に同情を禁じ得ない人物なのだが(まるでそうなることに作者の真の意図があるかのように)、姿が醜いばかりではなく、根性もねじ曲がっているという設定で、その浅はかさによって笑いを誘う悪玉として配置されている(シェイクスピアの絶筆となったこの作品では、悪玉はみな、道化役を兼ねている)。
第2幕第2場の冒頭、くだくだしくも陰険陰気なるキャリバンの愚痴を聞いてみよう。

「お天道樣が毒といふ毒をじめじめした泥んこ沼から吸上げて、プロスペローの頭の上にぶちまけ、體中隅から隅まで病気にしてくれればいい、あいつの手下の妖精共が何處かで聽いてゐる、でも、誰が默つてゐられるもんか……あの手先共が俺を抓つたり、小鬼の化物で脅したり、沼の中へ突き落したり、松明に化けて眞暗がり中をうろつかせたり、そんな事をするのも、みんなあいつがさせるんだ、何かにつけて、俺を小突き廻させる−−まるで猿だ、齒を剥いて喚き散し、擧句の果噛み附いて來る、さうかと思ふと、針鼠に化け、俺が裸足で歩く道に寢轉んでゐて、足を降すと針を逆立てる、それどころか、氣が附いてみると、邊り一面、蝮 マムシ で一杯、そいつらが先の分れた舌をひゆうひゆう言はせて押し寄せる、お蔭で氣が狂ひさうにならあ……」
(福田恆存訳)

※ 以上、福田訳は『福田恆存飜譯全集』(文藝春秋)から。「夏の夜の夢」は第四巻(1992.04.),「あらし」は第七巻(1993.03.)。福田訳は、新潮文庫版でも手軽に参照することができる。

原文は "...sometime like apes, that mow and chatter at me, and after bite me; then like hedgehog, which lie tumbling in my barefoot way, and mount their prickles at my footfall..." だから、「寝転んでいて」ではなく「転がってきて」とするのが忠実な訳し方だろう。

※ Arden Shakespeare の Frank Kermode による脚注では、このイメージの考えられる引用元として、ある文献から、「彼らはサルのように、奇妙な顔をしたり、にやにやしたりしかめっ面をしたりし、ハリネズミのように転げ回り……」というフレーズが引用されている。これは、悪霊 demons に取り憑かれた少女たちについての描写である。
あるいはこれに加えて,聖書にある「ハリネズミの住処:荒野」というイメージも思い出されてよいかもしれない。

『夏の夜の夢』の歌で、人にあだなす者としてハリネズミとカップリングされていたヘビが、ここでも登場している。マムシと訳された adder はクサリヘビのことで、英国に棲息する唯一の毒蛇である。

ところで、上のキャリバンの台詞の中で、「小鬼の化物で脅したり」の原文は "fright me with urchin-shows" である。妖精が見せるまやかしの類(狐狸による「化かし」を連想させる)を urchin-show と呼んだようだが、urchin とは本来ハリネズミのことだから、この台詞から、シェイクスピア以前の時代から妖精や小鬼とハリネズミが関係づけられていたことがわかる。夜、戸外で何か不可解な体験をした人が、たまたま夜行動物であるハリネズミが道を横切るのを目にしたりすると、あれは自分をたぶらかした妖精が化けたものだったのではないか、と考えたのだろう。
ほかに、第1幕第2場でも、呪いの言葉を吐くキャリバンをプロスペローが脅しつける台詞の中で、使い魔たる妖精たちが urchins と呼ばれており、Frank Kermode による脚注では、この語を「ハリネズミ,またはゴブリン(小鬼),またはハリネズミの姿をしたゴブリン」としている(福田訳では「小鬼共」)。
他のシェイクスピア作品では、『ウィンザーと陽気な女房たち』でも、第4幕第2場のペイジ夫人の台詞の中で、「小鬼 goblins」あるいは「妖精 elf」の意味で urchins の語が用いられている。
2000.02.17. 最終推敲:2002.04.06.
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■ ハリネズミの歌・海外篇 ■
− 南京さんの針刺し −

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♪その1。
一般には「ハリネズミの歌 The Hedgehog Song」と通称されることの多いこの歌は,そのサビのフレーズそのままに,"The Hedgehog Can Never Be Buggered At All" と呼ばれることもある。テリー・プラチェット Terry Pratchett の書く『ディスクワールド』シリーズの登場人物,Nanny Ogg が好んで歌うバラッドの1つだ。彼女は酒に酔うと,あたりかまわず大声でこの歌を歌うらしい。このサビの歌詞を敢えて日本語に訳せば,「ハリネズミのおカマを掘るのは絶対ムリさ」とでもなるだろうか。
「ハリネズミのシグネチャ」の項でも書いたが,英国のユーモア・ファンタジー作家であるプラチェットには,特に英国内において熱狂的なファンが数多くいる。プラチェットは巧妙にも,その作品の中で,この歌の断片のみしか明らかにしていない。そのためにファンたち(特にニューズグループAFP (alt.fan.pratchett) のメンバーたち)は,この歌の歌詞を何とか再構成することに躍起になり,かくして十数種乃至数十種もの The Hedgehog Song が世に送り出され,それらは実に数千にも及ぶウェブページ(英語圏以外のものも含まれる)で紹介されることとなった。
時間のある方は,試みに,google あたりで検索をかけて,The Hedgehog Song でのヒット数を確認してみていただきたい。世の中に,漫画・アニメ・ゲームのファンほど著述創作活動に熱心なグループは存在しないと思われるが,SFファンにはそれに準ずる勢いがあるかもしれない。
中でも最も数多く引用されているのは,おそらく Matthew Crosby と AFP による "v1.5" と呼ばれるものだろうが,こちらのページでは "v1.7" を見ることができる。『ディスクワールド』シリーズ中で見られる歌詞の断片は,この歌の中に,全て盛り込まれているという。
この歌に限らず,全ての「ハリネズミの歌」のサビのコーラスには,必ず「ハリネズミのおカマを……」というフレーズが使われているはずである。いやはや。

★ Too Trivial! ★
Robert R.Collier さんは,こちらのページで,「ハリネズミの歌」のモデルとおぼしき1920〜30年代ごろの歌を紹介している。

♪その2。
ハリネズミが見かけによらず歌を好むことについては,各方面からの証言によって明らかにされている。
たとえば,アリスン・アトリーの『むぎばたけ』に登場するハリネズミは、小道を歩きながら自分の歌を歌っているし、同じくアトリーによるリトル・グレイ・ラビット・シリーズの『ハリネズミさんのすてきなコート』に登場した放浪ハリネズミのブラッシも歌が好きだ。
ビアトリクス・ポターの描くティギーおばさんも,小さなルーシーがハンケチを探して訪ねていったとき,アイロンをかけながら歌を歌っていたし,『アプリイ・ダプリイのわらべうた』にも、Mr. Pricklepin という年寄りハリネズミの歌があるが(ただし老プリックルピン氏自身が歌っているわけではない),これらについては別項参照。
『ミート・ザ・フィーブルズ』のロビーことロバート君も,フラメンコ・ギターを爪弾きながらの恋歌で,見事想い人の心を射止めている。
古くは,グリムの『ウサギとハリネズミ』の語り手も,「歌がじょうずだろうがまずかろうが,ともかく,ハリネズミというものは,たのしい日曜の朝には,歌をうたうものです。」(国松孝二 訳)と断じている。

♪その3。
『子供のための合唱曲 Petites Voix(プティット・ヴォア)』は,作曲家のフランシス・プーランク POULENC, Francis (1899-1963) が,マドレーヌ・レイ LEY, Madeleine の詩に曲をつけた小品(歌曲集)。「かしこい少女」「迷い犬」「学校からの帰り道」「病気の少年」「はりねずみ」の5曲からなり,いずれも3声の易しいコーラス曲だ。東京少年少女合唱隊(LSOT)による「ヨーロッパの響きをたずねて1」(長谷川冴子 指揮,カメラータ・トウキョウ)というCDに収められている(同CDのライナーノーツでは『Petit Voix(プティ・ヴォア)』としているが,これは誤り<ニワトリ氏のご指摘による)。
「はりねずみ Le Herisson」は35秒ほどの短い歌。フランス語がわからないので,残念ながら歌詞の意味は不明。
上記CDの情報は,石井星山さんよりいただいた。いつもありがとうございます。

♪その4。
『真夏の夜の夢』で妖精たちが歌う子守歌にも,一瞬だけハリネズミが登場する。これを「ハリネズミの歌」と呼ぶのは、さすがに無理があるが。

♪その5。
マザーグースの唄にもハリネズミの登場するものがあってもよさそうなものだが、寡聞にしてほとんど知らない。hedgehog では韻が踏みにくいからだろうか? ただ一つ見つかったのは、ナンセンス・ソング「3人の陽気なウェールズ人 three jovial Welshman」だ。
この唄では、猟に出た3人のウェールズ人が、目につくものすべてを別のものと勘違いしてしまう。第1節で船を家と取り違えるのを皮切りに、第2節では月をチーズと、第3節でハリネズミを針刺しと、第4節でノウサギを子牛と、第5節でフクロウを老人と間違えるのだ。第3節のみを挙げておく。

そのあくるひもかりをして
みつけたものはただひとつ
いばらのなかのはりねずみ
てだしもせずにいきすぎた

ひとりがいったはりねずみ
もひとりがいった とんでもねえ
ありゃはりやまさとさんばんめ
はりをさかさにさしている
(谷川俊太郎 訳,『マザー・グース 4』,講談社,1985.02.)

And all the day they hunted
And nothing could they find,
But a hedgehog in a bramble bush,
And that they left behind.

The first said it was a hedgehog,
The second he said, Nay;
The third said it was a pincushion,
And the pins stuck in wrong way.

★ Too Trivial! ★
この唄は、文献初出(1932年)の形では「ゴータムの3人」というバラッドだったが、現在はウェールズ人が主役のものが一般的になっているという。
ゴータム Gotham とは、ノッティンガムの南,約10キロのところに実在する村だが、賢い村人たちが馬鹿な真似をして難を逃れたという伝説があり、伝承の世界では“愚か者が住む村”ということになっている。"the wise men of Gotham"(ゴータムの賢人たち)という表現もあり、上のものとは別の「ゴータムの3賢人」という短い唄は、マザーグースの唄の中でも最も親しまれたものの一つであるという。
北原白秋の訳した『まざあ・ぐうす』では、陽気なウェールズ人の代わりに、「素っ頓狂な南京人(なんきんさん)」となっている。『マザー・グースの唄 −イギリスの伝承童謡−』(中央公論社〈中公新書 275〉,1972.01.)の中で、平野敬一は、これを白秋による翻案と解釈しているが、谷川俊太郎によれば、実は白秋の依拠したテキストそのものが three Chinaman というヴァリエーションだったということのようだ。

♪その6。
"Echidna's Arf" は,ロック界の鬼才,フランク・ザッパ ZAPPA, Frank によるインストゥラメンタル曲だ。ザッパのバンド,マザーズ MOTHERS の結成10周年のライブ盤「ロキシー・アンド・エルスウェア ROXY & ELSEWHERE 」(1974年)に収録されている。
RYKODISK というレーベルから出ているザッパの邦盤の曲名は,そのほとんどが和訳されずにそのままカタカナ表記されており,この曲のタイトルもご多分にもれず,「エキドナズ・アーフ」となっている。
だが,版元を異にする「アンクル・ミート 〜古楽器によるフランク・ザッパ」(アンサンブル・アンブロジウス 演奏,キングインターナショナル,2001.03.21)では,この慣例はあまり尊重されなかったようだ。ザッパの音楽をフィンランドの若手アンサンブルが古楽器で再現したこの異色のCDの邦盤では,いくつかの曲名が日本語に訳されており,"Echidna's Arf" も「ハリネズミの叫び」となっている。
喘ぐウサギちゃん
Arf!
arf とは,英和辞典などではまずお目にかかることのない単語だが,“あえぎ声”を表す擬声語である(argh と書かれることもある)。「ロキシー」のライナーには,「犬の鳴き声の擬声ないし性行為中の女性の声を表す表現としてザッパが好んで使ってきた言葉」とある。
一方,echidna とは,オーストラリアに棲む「ハリモグラ」のことであり,さらに遡れば,本来はギリシャ神話に登場する半人半蛇の姿の女怪の名だ。女怪エキドナは,地獄の番犬ケルベロスなど,神話に登場するさまざまな怪物の母とされている。
ここでの echidna がハリモグラなのか蛇女なのかはわからないが,いずれにしても,「ハリネズミの叫び」とは,(洋楽の邦題にはありがちなことだとしても)ずいぶんヒドい訳である。

♪その7。
イギリスのフォークロック・グループ The Incredible String Band による The Hedgehog's Song は,1967年発表のセカンド・アルバム "The 5,000 Spirits or the Layers of The Onion" に収録されている(3:26)。作詞は Mike Heron。アシッド系の雄と呼ばれるだけあって,アルバム・タイトルからして訳がわからない。1971年の "Relics of the Incredible String Band" にも再録。
いぬかわは初見時,この歌の歌詞が理解できなかったが,ニワトリ氏よりご教示をいただいた。哀しい歌である。

今までいろんな女の子とつきあってきたが,本当の愛にはまだ出会っていない。
何もかもが順調に運んでいるような気がするとき,彼女こそが探し求めてきた相手だと感じるようなときでさえ,このちっぽけでおかしなハリネズミのやつが,いつもの歌を歌って聴かせるのだ。
「君は知っている,どんな歌だって。だけど君の目に浮かぶのは,哀しみの色だ。あの子の歌ったあの歌は,君には歌えないのだね」と。
(大意)

2000.02.18. 最終推敲:2002.04.08.
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■ ハリネズミの歌・国内篇 ■
− 僕もオイラも私も君も −

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♪その1。
マッド・カプセル・マーケッツというパンク・ロック・バンドについて,私の知るところは全くないが,たぶん今後とも知る必要はまったくないだろう。私の手元にある唯一のCDの収録曲はいずれも,利己的な大人たちと彼らが作った腐った社会に対する悪罵に満ち満ちていて,なかなか微笑ましいものがある。
さて,私の手元にあるのは,彼らのメジャーデビューアルバムである(らしい)「P・O・P」(ビクター,1991.11.21.)である。さわやかな南の島の砂浜と青空を写したさわやかなダミージャケットをはずすと,その下からは死体や髑髏や爆煙の写真をコラージュしたモノクロ・ジャケットが顔を出す。ダミジャケの裏面には「こちらのジャケットはごみ箱にお捨てください」……ふふふ,かわいいよね。
さて,このCDには,「ハリネズミとXX」という曲が収められている。歌詞を見ると「何をしてると言う赤トンボ」「ただ歩いてる オイラハリネズミ」と,どうやら,警察官による夜の職務質問をネタにした歌らしい。「夜の徘徊者」としてのハリネズミのイメージを踏まえたものだとすればなかなか大したものだが,警官が赤トンボになる訳がよくわからない。いつの日か,追われてみたりしたことがあるからだろうか。
ここに歌詞を転記することは無論できないが,このファンサイトで一応英訳詞を見ることができる。これもなかなかに楽しい訳詞で,Is it really that "ebari" というのは何のことかと思ったら,原詞は「そんなにエバリてぇのか」だった。なお,このサイトは,翻訳ソフト文体大爆発なニッポンゴ・トップページも必見。
また,このアルバムの収録曲についてのレヴューは,ここで見られる(ただしこれも英文)。評者は「ハリネズミとXX」のXXを kiss と解したのか,このタイトルは weird だとほめた?上で,曲そのものもアルバム中でも上出来の部類だと評している。しかし,この歌では「オイラ」が「ハリネズミ」なのだから,曲中でリフレインされる「ハリネズミとXX」というフレーズの意味するところは解し難い。

♪その2。
大阪で活躍中のミュージシャン,まるおかかずこ さんの曲に,「はりねずみ」というものがあった。まるおかさんのサイトの MUSIC コーナーにあり,リアルオーディオプレーヤーがインストール済みのマシンなら,試聴もできるようだ。直接ジャンプするなら,こちら
「特別な厄介者である私」としてのハリネズミとは少し違う,「みんな はりねずみ」というイメージ。針を立てているのは,こわがって,無理をしているから。たぶんみんな,そうなのだ。
「ヤマアラシのジレンマ」のようなイメージが前提となっているのかもしれない。

♪その3。
男女2人組のユニット「そら」のサイトである「ガラクタ日記」に,「ハリネズミ」という曲がある。
これも「ヤマアラシのジレンマ」のイメージを前提とするものであることは,最終フレーズから察せられる。

さて,Jポップ?3曲を並べてみて気がつくのは,「オイラハリネズミ」「わたし はりねずみ / みんな はりねずみ」「君はハリネズミ / 僕はハリネズミ」という,サビ部分の共通するスタイルである。
不安を心の奥深くに隠してギスギストゲトゲする結果,心ならずもますます孤立してしまういたいけな存在としてのキミとボク……みたいな感じの,なかなか複雑なイメージを,わずか5文字で表せる「ハリネズミ」という言葉は,考えてみれば確かに,なかなか重宝なものではある。

♪その4。
おそらくは愛媛県内で活動しているバンド,「じゃぱはりねっと」にも,「はりねずみな男」という曲がある。作詞・作曲はボーカルの城戸けんじろさん。人生で初のオリジナル曲とのこと。試聴も可。
聴き手へのストレートなメッセージ。ライブでは盛り上がりそうな曲だ。ハリネズミほどにありのままでカッコイイ奴もいねぇ由。ふむむ。
曲中にバンド名「じゃぱはりねっと」も出てくるが,この名前が何に由来するかは不明。

♪その5。
たまにはポケてみよう。はりねずみさんの歌
2002.03.?. 最終推敲:2002.04.15.
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■ ハリネズミの詩 ■

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★その1。
ベルギーの詩人モリス・カレーム Maurice Careme 1899-1978 に,次のような詩がある。
この詩を見つけてきてくれたニワトリ氏によれば,ウェブ上のあちこちに掲載されており,けっこう親しまれている作品なのではないかとのこと。


Le herisson

Bien que je sois tres pacifique,
Ce que je pique et pique et repique,
Se lamentait le herisson.
Je n'ai pas un seul compagnon.
Je suis pareil a un buisson,
Un tout petit buisson d'epines
Qui marcherait sur des chaussons.
J'envie la taupe ma cousine,
Douce comme un gant de velours,
Emergeant soudain des labours.
Il faut toujours que tu te plaignes,
Me reproche la musaraigne.
Certes, je sais me mettre en boule,
Ainsi qu'une grosse chataigne,
Mais c'est surtout lorsque je roule
Plein de piquants sous un buisson,
Que je pique et pique et repique,
Moi qui suis si pacifique,
Se lamentait le herisson.

Maurice Careme (1899-1978)

ハリネズミ

私はとってもおとなしいのに
刺して刺してまた刺すの、
とハリネズミは嘆くのでした。
友達は一人もいないし
まるで草の茂みみたいなの、
スリッパ履いて歩く
とげだらけのちっちゃな茂み。
いとこのモグラがうらやましい、
ビロードの手袋みたいに柔らかくって
耕す先から顔を出す。
あんたは不平ばっかりだ、
とトガリネズミに叱られます。
そりゃあ私は丸まって
おっきな栗みたいになれるけど
でも茂みの下でとげだらけで
転がってるときがいちばん
刺して刺してまた刺すの、
私はこんなにおとなしいのに、
とハリネズミは嘆くのでした。

モリス・カレーム(ニワトリ訳)

「とってもおとなしいのに刺して刺してまた刺す」とは,単純にハリネズミの性質を写したものなのかもしれないが,それよりは,たとえば,悪意はないのに他人によい印象を与えないある種の人格と重ねて見るべきかもしれない。
カレームには明らかに動物学的な知識があると思われる。ハリネズミ・トガリネズミ・モグラはいずれも食虫目で,またヨーロッパを含む広い地域に分布し,6科からなるこのグループを代表する3科でもあるからだ。

★その2。
ルナールの『博物誌』をご存知だろうか。
そんなタイトルは記憶にない,という人でも,以下の作品は,どこかで一度くらい目にされたことがあるかもしれない。


 蛇

長すぎる。


古今東西でおそらくは最短の詩,と目されるこの作品は(ただし実際には,この作品はおそらく「詩」として書かれたものでも,読まれてきたものでもない。むしろ,マキシム(箴言)や広告コピーに近いものと見た方がよいかもしれない),『にんじん』の作者として知られるフランスの作家ジュール・ルナール RENARD, Jules 1864-1910 のもう1つの代表作である,『博物誌 Histoires Naturelles 』という短文集から取られたものだ。
この中の「はりねずみ」という作品については,すでにr2_d2さんのサイト "hedgehogs" で紹介されており,私自身このサイトではじめて知ったものだが,訳注も併せてここに再録させていただく。

 はりねずみ

   1

「よく拭ってください、あなたのそのう……」


   2

「おれがたちのよくない男だってことを覚えとけ。おれを怒らしたら、とんでもねえことになるぞ」


注1 門番がはりねずみに、足を拭ってくれとたのもうとして、はりねずみの足が見えないので口ごもっているのである。これは、フランスの建物の入り口によく書いてある「靴をよく拭ってください」という言葉をもじったものである。
注2 同時に、「おれをつかまえても、ぎゅっとにぎったらだめだぞ」という意味をふくんでいる。
(ルナール,辻 昶 訳『博物誌』岩波書店〈岩波文庫 赤553-4〉,1998.05.)

前者はふだん戸外でハリネズミの姿を見知っている人以外にはポイントの見えにくい作品であり,後者はおそらくフランス語の地口だろう。
ここ(作品2)でのハリネズミは,はっきりと「男」としてとらえられているが,同じフランス語によるハリネズミの独白として,先に挙げたカレームの詩との対照が面白い。

なお,『博物誌 Histoires Naturelles 』は,ルナールが新聞・雑誌などに発表してきた動物に関する短文やその他の作品を,あとになって一本にまとめたもので,1896年に初版が刊行された後,版を重ねるごとに増補されていった。当時の決定普及版である1904年の版に拠った岸田国士訳(新潮文庫)には,「はりねずみ」は収められていない。

★ Too Trivial! ★
ジュール・ルナールの名は本名だが,この RENARD という姓は「キツネ」を意味する語だ。ハリネズミ氏がいたりキツネ氏がいたりするフランスという国は,なかなか楽しそうだ。「ルナール」氏の名から,中世ヨーロッパの『狐物語』の主人公を思い出される向きも多いだろうが,この語が「キツネ」の意味で用いられるようになったのは『狐物語』以後のことで,それ以前は別の語が使われていたらしい。
なお,文壇の寵児となったルナールは,自身の作風を模倣する輩について意見を求められたとき,
「そういう連中をプティ・ルナール(=小ギツネ)族というのさ」
と答えたという。

★その3。
和物。
『歌詠もう会』会誌第10号(1999.07.02.)『雨』中,Alice さんの作品の末尾,Scene4。
系統としてはカレームの詩と同じだが,ミニマムに,またぐっとリリカルに煎じ詰めたもの。
ハリネズミであるということは,それだけで「ごめんなさい」なのだ。
2002.03.06. 最終推敲:2002.03.20.
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■ ハリネズミの折り紙 ■

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★その1。
中川幸治さんのサイトでは,中川さんによる作品「ハリネズミ」の完成写真,展開図,折り図を見ることができる。
「ミウラ折り」を利用してハリネズミのトゲトゲ感を表現した立体的な作品で,前川淳氏の「孔雀」を折っていたときに着想されたものだという。創作は2001年5月。口,耳,尻尾,前後肢に3本の指までそろった精緻な作品だが,「折り紙をはじめて以来初めて気に入った形になった作品」とのこと。
折り図は108図から成り,創作の苦労もさることながら,折り図製作の大変な手間も忍ばれる。
ハリネズミ好きなら一度は挑戦してみたい作品といえるだろう。

★その2。
アメリカで2000年9月に開催された「南東部折り紙フェスティバル2000」の出品作の写真を展示したサイト中,フランスの Eric Joisel 氏の作品コーナーでは,サイ,オンドリ,ペガサスなどの驚くべき立体折り紙とともに,氏のハリネズミの作品の写真が見られる。
耳はないようだが,3本指を備えた四肢,立体的な顔,特に先細りに尖った鼻先と,顔面に微妙な凹凸をつけて表現した眼が素晴らしい。ハリは無数の蛇腹折りで表現されている。折り図を見ることができないのは残念だ。
同作品の写真は,Joseph Wu 氏の Origami Page 中の Eric Joisel コーナーでも見ることができる。いずれも,ハリネズミは単体ではなく,親子4体で展示されているが,親1体,仔3体という構成が,作者のハリネズミの生態についての正しい知識を物語っている。

★その3。
Tony O'Hare 氏による,ごく簡単なハリネズミ(平面)の折り図はこちら
ほとんど輪郭だけで表現されており,慣れれば5分もかからないだろう。子ども向き。

★その4。
「折紙探偵団新聞」掲載作品集4に,高田欣幸氏による「はりねずみくん」の見取り図がある。
掲載されたのは「折紙探偵団新聞」の24号で,制作は1993年。新聞に掲載された折り図は7面であり,見取り図をみても,わりに簡単な構造の作品と思われる。

★その5。
ヨーロッパの伝承ナプキン折り?のハリネズミはこちら。比較的シンプルながら,これも立体的な作品だ。折り図はない。

★その6。
こちらのページによれば,ドイツの折り紙雑誌 "der falter" の12号(1993.10.)には,Kunihiko Kasahara 氏による,ハリネズミを含むいくつかの動物作品が掲載されているとのこと。
2002.04.13. 最終推敲:2002.04.14.
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■ ハリネズミのケーキ ■

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スライスアーモンドまたはアーモンドスリーバードをハリに見立てた「ハリネズミのケーキ」のレシピは,こちらこちら。(ところで,スリーバードって何?)

なお、Mandy's Cake Shop では、Hedgehog Cake の作り方(英文)と、右へ左へ走り回るかわいらしい cake のアニメーションを見ることができたが,現在はアクセス不能になっている。
2002.04.11. 最終推敲:2002.04.14.
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■ ハリネズミの夢 ■

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ぱうだぁさんのサイトによれば,夢に出てくるハリネズミは,過剰な防御を意味する。
1匹なら,それが自分でも他人でも,心を閉ざした状態を表し,2匹いる場合は,傷つく(あるいは傷つける)ことを恐れて近づくことのできないカップルを表す。
既存イメージどおりの,ストレートな占いだ。

それに対して,青山白蘭さんのサイトによれば,ハリネズミの夢は“商売の失敗”を表すとのこと。

ふうむ,どちらにせよ,ハリネズミはあまり縁起のよい動物ではない,ということのようだ。
2002.04.14. 最終推敲:2002.04.14.
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■ チェブとゲーナとハリネズミ ■

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「チェブラーシカ」は旧ソビエト連邦のパペット(人形)・アニメーションだ。ロマン・カチャーノフ監督により,1969年から1983年にわたり制作された。わずか4作の短編作品だが,ロシアではキオスクでぬいぐるみが売られているほどの人気キャラクターだという。
主人公のチェブラーシカは,アフリカから果物の箱詰めにまぎれてソ連にやってきた正体不明の生き物。顔の両側に広がった耳たぶが非常に大きく,明らかに小ザルそのものの容姿なのに「小グマさん?」などと訊かれたりするのは,エドゥアルド・ウスペンスキーによる原作を踏襲しているからで,実際,原作(『チェブラーシュカとなかまたち』,伊集院 俊隆 訳,新読書社)のアルフェーフスキーによる挿し絵では,小グマというか,小ダヌキのような姿で描かれている。ちなみに,作者が幼いころに遊んだ人形たちがモデルになっている点で,この作品は『クマのプーさん』の生国を異にする親戚である。
作品中では,小さくていたいけなチェブラーシカと,その親友でアコーディオンが得意なやさしい生真面目紳士のワニのゲーナ,すばしっこくてお洒落でいたずら好きなお婆さんのシャパクリャク(この意地悪婆さん,原作シリーズでは完全なカタキ役なのだが)らをはじめとする動物や人間たちがカラんで物語が進行する。特にゲーナは,チェブと並ぶもう1人の主人公といってよい。
日本では,2001年の夏から秋にかけてチェブ・シリーズ4作中の3作が各地で公開され(東京では渋谷のユーロスペース),人気を呼んだ。公式サイトはここ
この公開に合わせて発売されたアニメーション絵本『チェブラーシカ』(プチグラパブリッシング,2001.07.)で紹介されるロシアのチェブ・ジョークの1つにハリネズミが登場しているので,以下にご紹介する。

チェブラーシカとゲーナは刑務所に入れられた。チェブラーシカがゲーナに尋ねる。
「ゲーナ、ねえゲーナ、刑務所では頭をそられちゃうのかな?」
「わしは知らんよ、チェブラーシカ。そこにいるねずみに聞いてみたらどうだい」
とすみっこにいるねずみを指して言うと、彼はこう答えた。
「わたしはねずみじゃないですよ、はりねずみです!」

「ゲーナ、ねえゲーナ」……思い入れたっぷりにチェブやゲーナの声色を演じることが,このジョークのポイントだろう。この台詞を見ただけで,もう無性にチェブの声が,ゲーナの歌が,また聴きたくてたまらなくなるのは,きっと私だけではないはずだ。
ハリネズミを「ネズミ」の名で呼ぶ言語は,私の知る限りでは日本語と中国語だけだが,このジョークから察するに,ロシア人の目から見ても,「ハリネズミ ハリを剃ったら ただのネズミ」(字余り)ということになるらしい。
2001.11.24. 最終推敲:2002.04.01.
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